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ウズベキスタン 基本情報

UZBEKISTAN

UZBEKISTAN
正式名称 ウズベキスタン共和国 / O’zbekiston Republikasi
元首 シャフカット・ミルジヨーエフ大統領 / Shavkat Mirziyoyev
人口 約3325万人(2019年)
首都 タシケント
民族グループ ウズベク人(83.8%)、タジク人(4.8%)、カザフ人(2.5%)、ロシア人(2.3%)
言語 ウズベク語(公用語)、ロシア語
宗教 イスラム教(スンニ派)・ロシア正教
面積 約44万7400km2(日本の約1.2倍)
ビザ 30日以内の滞在においては、ウクライナのビザは免除。
電気・電圧 220V-240V/50Hz:Cタイプ
通貨 スム(Sum)
1Sum= 0.012円 ※2019年9月現在
国旗

ウズベキスタン国旗

1991年に制定された。青は空と水、白は平和と美しい国土、緑は自然と実り豊かな農業を表すとされている。上部にはイスラムを象徴する新月と十二宮を表す12の星が配されている。
気候 典型的な大陸気候。夏は暑く、冬は寒く、昼夜の温度差も激しい。 降水量が少ないため、乾燥している。7月初めから8月半ばにかけて「チッラ」と呼ばれる酷暑期があり、砂漠地帯では45℃以上の気温となることもある。
交通事情 ウズベキスタンの首都であるタシケント国際空港から市街中心部までは約6㎞と近いところにあり、バスやタクシーなどを利用して移動する。タシケントからその他の都市への移動は飛行機、鉄道、バスを利用して移動する。
電話のかけ方 日本からウズベキスタンへ : 国際電話認識番号+998+市外局番(0を取る)+電話番号
ウズベキスタンから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号

出典:外務省の各国基本情報HP

都市情報

CITY INFORMATION

タシケント

「タシケント ~中央アジア最大の都市~」

ウズベキスタンの首都であるタシケントは、中央アジア最大の都市。 古来よりシルクロードの中継都市として、多くのものが集まる物流の中心地として発展していた。

タシケントの起源は紀元前2~1世紀にまで遡ると考えられており、中国の歴史書『魏書』に記載されている「者舌国」が最古の記録である。ほかに「赭時(しゃじ)国」「拓支(たくし)国」「石(せき)国」などと呼ばれており、現在のタシケントと呼ばれるようになったのは13世紀頃からである。

もとはイラン系ソグド人の住地であったが、750年に唐が侵攻したことから、タシケントはイスラム王朝に助けを求め、その勢力下に入った。 13世紀になるとモンゴル軍の攻撃により、街が破壊され、一時は壊滅状態まで陥るが、ティムール帝国により街は再建され、ティムール帝国領となった。

タシケントの街は大きく2つに分かれており、市内西部に位置する旧市街には「クカルダシュ・メドレゼ」や「カファリ・シャーシ廟」など歴史のある建物が立ち並ぶ一方、チョルスーバザールなどの市民の日常も見ることができる。反対に市内東部に位置する新市街には「ティムール像」をはじめ、第二次世界大戦後に旧日本兵によって建てられた「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」や「テレビ塔」などタシケントを代表する建物がある。

観光スポット情報

バラク・ハーン・メドレセとジュマ・モスク
BARAKHAN MADRASAH & MOSQUE
観光ポイント

開館時間:9:00~17:00(コーラン博物館のみ)

休館日:日曜日(コーラン博物館のみ)

16世紀にバラク・ハーンによって建てられた神学校。ソ連時代に中央アジアのイスラムの本庁が置かれました。ジュマ・モスクのコーラン博物館は世界最古のコーランと言われる、ティムールがダマスカスから持ち帰った7世紀のコーランを収蔵しています。

ナヴォイ劇場
NAVOI OPERA & BALLET THEATRE
観光ポイント

1947年に日本人抑留者の強制労働によって完成した1500人収容の劇場。タシケント大地震でもびくともしませんでした。今でもタシケント市民から日本への尊敬を深く感じることが出来ます。

ブハラ

「ブハラ ~イスラム世界の文化的中心地~」

ウズベキスタン中南部にあり、国内で5番目に人口の多い都市であるブハラ。 古代よりサマルカンドと同様、中央アジアの重要都市として栄えていた。

ブハラはイスラム時代以前の歴史では不明な点が数多くあり、今現在でも研究の対象となっているが、遅くとも1世紀には現在の地に街があったと言われている。7世紀の歴史書には「安国」と記され、イラン系ソグド人王朝の支配下として栄えていた。 8世紀初頭からイスラム帝国の勢力が徐々に中央アジアへ拡大するとともに、ブハラもその勢力下に入り、9-10世紀にはサーマーン朝の首都として、イスラム学術、イラン文化の中心地となった。1220年にモンゴル軍によって街は破壊され壊滅的な被害を受けたが、モンゴル帝国の支配下に入ると徐々に復興し、16世紀になるとウズベク人が建てたブハラ・ハン国の首都となった。

もとはイラン系ソグド人の住地であったが、750年に唐が侵攻したことから、タシケントはイスラム王朝に助けを求め、その勢力下に入った。 13世紀になるとモンゴル軍の攻撃により、街が破壊され、一時は壊滅状態まで陥るが、ティムール帝国により街は再建され、ティムール帝国領となった。

ブハラはタシケントと同様に新市街と旧市街の2つに分かれているが、観光スポットは旧市街の方が多い。特に市民の生活を間近で見ることができる「タキ・バザール」をはじめ、「カラーン・モスク」や「アルク城」は押さえておきたい観光スポット。

ブハラの旧市街は2000年に「ブハラ歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産に認定された。

観光スポット情報

アルク城
ARK FORTRESS
観光ポイント

開館時間:9:00~16:30(火曜日のみ9:00~14:30)

休館日:水曜日

古代ブハラ発祥の地で2000年前にさかのぼります。その後、何度も破壊されては再建されて1920年にソ連軍に攻略されて滅亡するまで歴代ブハラ・ハーンの居城でした。

カラーン・ミナレット
MINARET KALYAN
観光ポイント

開館時間:8:00~18:00(カラーン・モスク)

休館日:なし

高さ46mでブハラのシンボル的な存在です。1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられました。写真の左隣はミル・アラブ・メドレセです。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
NADIR DEVONBEGI MADRASAH
観光ポイント

1622年にナディール・ディヴァンべギによって建てられた神学校です。偶像崇拝を否定するイスラム教の教えに反して、2羽の鳳凰が白いシカをつかんで太陽に向かって飛んでいる絵が描かれてます。

サマルカンド

「サマルカンド ~青の都~」

ウズベキスタン中部にあり、首都タシケントに次ぐ第2の都市であるサマルカンド。「青の都」、「イスラム世界の宝石」、「東方の真珠」など数多くの異名を持つ。

紀元前10世紀頃からイラン系ソグド人のオアシス都市として発展し、12~13世紀にはヨーロッパとアジアを結ぶ、シルクロードの主要な交易地として栄えていた。しかし、1220年にモンゴル軍がタシケントを含む中央アジアへの侵攻を始めると、サマルカンドもその攻撃により、街の半分以上が破壊され、一時は壊滅状態に陥った。14世紀に入りティムール帝国が誕生すると、徐々に街も復興し、14世紀末にはティムール帝国の首都として、またシルクロードの交易地として、再び中央アジアの表舞台に返り咲いた。

現在でも、街のいたるところで当時の歴史の足跡を見ることができる。 特にサマルカンドの中心部にある「レギスタン広場」やサマルカンドを復興させたティムールが眠っている「グル・アミール」、ティムールの親族や部下が眠っている「シャーヒ・ズィンダ廟群」は押さえておきたい観光スポット。

2001年には、「サマルカンド―文化交差路」として、ユネスコの世界文化遺産に認定された。

観光スポット情報

レギスタン広場
REGISTAN SQUARE
観光ポイント

開館時間:8:00~19:00(冬期は8:30~17:00)(各メドレセ)

休館日:なし

チンギスハーンの来襲以後、アフラシャブの丘から移動したサマルカンドの商業の中心です。青いタイルの美しい三つのメドレセ(ウルグベク・メドレセ、シェルドル・メドレセ、ティラカリ・メドレセ)が広場を囲むように建っています。レギスタンとは砂地を意味します。

グリ・アミール廟
GUR EMIR MAUSOLEUM
観光ポイント

開館時間:8:00~20:00(冬期は8:00~17:00)

休館日:なし

ティムールをはじめ、彼の家族、教師、聖人たちが眠る霊廟です。ティムールは故郷のシャフリサーブスに建設してあった廟に埋葬される予定でしたが、遠征の途中で急死してサマルカンドに眠ることになりました。

ビビハニム・モスク
BIBI KHANUM MOSQUE
観光ポイント

開館時間:8:00~20:00(冬期は8:00~19:00)

休館日:なし

イスラム世界で最大規模を誇ったモスクの跡です。モスクワはティムールの死の1年前の1404年に完成しましたが、あまりにも急いで建設して且つ巨大だった為、落成後、直ぐにレンガが落ちてきたりして礼拝をする人も少なくなり、廃墟のようになっています。

シャーヒズィンダ廟群
SHAKHI ZINDA ENSEMBLE
観光ポイント

開館時間:8:00~19:00(冬期は8:00~17:00)

休館日:なし

アフラシャブの丘の南麓にあるサマルカンド有数の聖地。ティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に建ち並び11の廟から成り立っています。霊廟の回廊は圧巻です。

アフラシャブの丘
AFROSIYAB
観光ポイント

開館時間:9:00~18:00(博物館)

休館日:なし

アフロシャブの丘はモンゴル軍に徹底的に破壊されるまで長年サマルカンドの中心として町が形成されていた場所です。この丘から発掘された壁画等が丘の横のアフロシャブ博物館に展示されています。

ウルグベグ天文台跡
ULUGBEK’S OVSERVATORY
観光ポイント

開館時間:9:00~19:00(9:00~17:00)

休館日:なし

ティムール朝の君主であり、天文学者でもあったウルグベク(1394年~1449年)が1420年代に建設した天文台の跡です。当時、ウルグベグの天文表はヨーロッパ世界の水準を凌駕し、彼の死後に出版されて世界に広まりました。天文台はウルグベクの死去した年に破壊されましたが、1908年にロシア人の考古学者によって地下部分が発掘され、存在が明らかになりました。

ヒヴァ

「ヒヴァ ~シルクロードの古都~」

ウズベキスタン北西部に位置し、古来よりシルクロードのオアシス都市として栄えてきたヒヴァ。年間300日も晴天が続くヒヴァは、「中央アジアの真珠」や「青空の博物館」とも呼ばれている。

6-7世紀から存在していた都市であり、初めて記録に現れたのは10世紀に書かれたアラビア語の地理書である。当初はホラズム語を話すアーリア人が住んでいたが、7世紀のアラブの征服以降イスラム文化が徐々に広まり、イスラム文化の一都市として栄えた。17世紀になるとウズベク人国家であるヒヴァ・ハン国の首都として栄え、その遺跡はイチャン・カラとして保存されている。

ヒヴァは大きく2つに分かれており、城壁の外側にあるディチャン・カラと呼ばれる地区と、城壁の内側にあるイチャン・カラ地区がある。イチャン・カラ地区には未完成の大ミナレットである「カルタ・ミノル」や「ムハンマド・アミン・ハン・メドレゼ」などがあり、18世紀の市民の生活を知ることができる。

1990年に「イチャン・カラ」としてユネスコの世界文化遺産に認定された。 ウズベキスタンでは最初の世界遺産である。

観光スポット情報

イチャン・カラ
ICHAN KOLA(世界遺産)
観光ポイント

ヒヴァは二重の城壁で囲まれていて外側がディシャン・カラで内城をイチャン・カラとなっていてハーンの宮殿やハーレム、モスク、メドレセが建てられました。現在、イチャン・カラは世界遺産に指定されてます。

カルタ・ミナル
KALTA MINOR
観光ポイント

1852年に着工して未完成のまま残るミナレットです。26mで中断されました。基礎から考えると70mくらいの高さになったと予想されます。カルタは短いという意味です。

観光スポット情報

アク・サライ宮殿跡
AK SARAY PALACE
観光ポイント

開館時間:7:00~18:00

休館日:なし

1380年に着工して、ティムールが死んだ1年後の1405年まで建設された壮大な建造物。アク・サライは白い宮殿という意味です。宮殿自体は破壊され、現存しているのはアーチ形の門の一部だけです。アーチの上部まで上るとシャフリサブスの街並が一望でき、有料ですがその価値はあります。

ドルティロヴァット建築群
DORUS TILAVAT MAUSOLEUM
観光ポイント

開館時間:8:00~17:00(冬期は8:00~17:00)

休館日:なし

ティムールゆかりの建築群。シャムスッディン・クラル廟はティムールの父とその指導者が葬られています。

ドルッサオダット建築群
DORUS SIADAD ENSEMBLE
観光ポイント

建築群の中心、ジャハンギール廟は、ティムールが22歳の若さで戦死した長男の為に建てた巨大な霊廟です。現在は土台石のみになっていますが、ティムールの次男が眠る霊廟もありました。また、ここにはティムールが自らの埋葬のために用意した地下墓室が残っています。実際にはティムールはシャフリサブスではなくサマルカンドのグリ・アミール廟に埋葬されています。

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