北カフカス(コーカサス)のベゼンギ・キャンプ場
ロシア語を多少なりとも齧った方であれば 「ラーゲリ」 という言葉がソルジェニーツィンの作品等から知り得る 「強制収容所」 といったソ連時代の負の歴史ばかりではなく、ピオネール・キャンプや大自然の中のリゾート地に点在する休息の場所をイメージすることが出来るかと思います。
ロシア北カフカスのカバルダ・バルカル共和国南部のジョージアと国境を接する手前には、4-5,000m級の山々に囲まれた登山ラーゲリ 『ベゼンギ』 があります。
カフカス山脈のこのベースキャンプ場は標高が2,200m、中央棟ホールにはWiFiも繋がるカフェがあり、水洗トイレやシャワーの備わったロッジが林立、既に60年の歴史を刻んでいることでロシア各地の山好きにはよく知られたラーゲリながら外国からの客はまだまだとはいえ、アリ所長を始め、洗濯場のサリハートさん、食堂で給仕をし、雑貨店、食料品店で店番をするリューバさん、バルカル人の文化を紹介する「塔の博物館」の案内人でありサウナの準備もしてくれるリーリャさん、そして何より山岳ガイドのアダルビーさん、グーリャさん、アンドレイさん、ターニャさんといった多様な民族が交流するコミュニティと言えます。
カバルディア人は、イワン雷帝に嫁いだマリア・テムリュコーヴナやサンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー首席指揮者ユーリー・テミルカーノフ等によっても知られる北西カフカスのチェルケス語族、バルカル人はチュルク語族といった言語の違う民族が共存しているいかにもロシアの地方ならではの多民族国家の一端を感じます。
2016年7月日本から訪れた山愛好家と共に私はそのラーゲリで1週間の山生活を体験したのでした。
山歩きの初日、氷河が溶けて流れて滝となった丘を登れば、青、赤、黄と色とりどりの高山植物がふんだんに咲き誇る贅沢な景観に嘆息し、徐々に環境に慣れた頃には松林目指して山を下りてのキノコ狩り、或いは野イチゴ、ツルコケモモ、マリーナ、ブルーベリーなどを摘み取ることに夢中となる日々。
日を追うにつれ絶景に引き寄せられ、氷河を目指してモレーンを進み行けば霧に覆われ雨に当たり、急遽巨大な岩の陰で雨宿りをしながらコーヒーで暖を取りつつ弁当のバナナや林檎、チョコレートを食べる、そんな時もありました。
雨上がりの翌日、ベゼンギ氷河右岸のモレーンを、所どころ崩落しゴロゴロと積上がった落石箇所を廻り込むようにしてトレッキング。30分歩いては5分休憩というリズムを繰り返すにつれ足は次第に重くなり、巨礫が凸凹と重なる上を注意深く踏み締めた先、漸く土の上に足が届いて心が緩んだ途端、濡れた草に不意に足を取られてしまった私は滑って転び、不甲斐なく頭よりズルズル斜面を滑り落ちていったのでした。
直ぐ後ろにいた70代の女性が落下する私の足に咄嗟に馬乗りとなってしっかりと支えてくれ、額と鼻の付け根からの出血していたところを押えてくれる手際の良さ。
山ガイドのグーリャが救急箱を開き、額2センチほどの切り傷とその下の傷を消毒し包帯をグルグル巻きにした応急処置を施してくれ、しばし休みをとった後にそろりそろりと下山。
その晩、コテージのドアを叩く音に目が覚めると、ラーゲリのアリ所長が携帯電話を持って飛込むや、モスクワの日本大使館が心配しているとのこと、何故?と驚くと 『カバルダ・バルカル新聞』 に貴方の滑落記事が出た、貴方はここでは有名人と告げられてしまったそんな顛末でした。