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チェリャービンスク

田舎道を歩いていると「どこへ行きなさるかね」と地元の方から声を掛けられ会話へと発展することはありませんか?
ロシアに於いても特に地方都市へと出向いたりすれば、てらいのない人懐っこさで話しかけられることが往々にあります。
 チェリャービンスクといえば、1957年150㎞北西のチェリャービンスク‐65(現オジョールスク)にて核兵器工場事故による3万人を越える人々の被曝、2013年2月15日隕石落下による1615人の負傷者、7320軒の建物の損壊といった悲惨な記憶があるばかりでしたが、2014年8月20日から2週間に亙る出張滞在をした印象は格別素晴らしいものでした。
 8月25‐31日のチェリャービンスク世界柔道選手権大会参加のため井上康生監督率いる日本選手団、関係者、サポーターたちの現地地上手配を請負った私は、事前に市内の手配先を巡るためにマルシュルートカ(小型乗合バス)を利用したのですが、よそから来た人間と見るや乗車賃の払い方を知らせることから始まり、行き先を聞いて道案内をアドバイスしてくれる周辺の人たちからの親切な声掛けが老若男女から途切れなく優しく浴びせられます。不案内な道を歩いているときには、必ずといってよいほど、何かお助けしましょうか、と分り易い通りへと同行してくれるのです。地方都市ならではの素朴な気さくさが伝わってきます。
 モスクワから東へ1800㎞、エカチェリンブルクからは213㎞南下した南ウラルの中心地であり「シベリアへの玄関口」とも言われる人口120万人のチェリャービンスクは、さらに150㎞南下すれば中央アジアのカザフスタン国境に達することもあって市の紋章はラクダ、この時は大会マスコットであるトラのジョリクが柔道着を着て私達を出迎えてくれました。
 選手の宿泊ホテル「マルクシュタット」では食事にこころ配りがなされ各階には体重計が置かれています。1.5㎞西のガガーリン公園内のスポーツ複合センター「ディナモ」が練習場として用意され一晩の内に厚い柔道着を洗濯するサービスまで受けてくれます。
 会場となる7500名収容のアリーナ「トラークトル」は、市の中心からは西に10㎞、地元のアイスホッケーチーム名から名付けられ、町の基幹産業がトラクター製造であったことにも由来します。戦時中はその工場がタンク(戦車)製造に使われたこともあってチェリャービンスクはタンコグラードと呼ばれた歴史も知ることとなりました。柔道大会が始まった時には、会場に市民の多くが集まりお祭り騒ぎとなり、家族連れのために会場前には子供用の柔道練習テントやポニー乗場、遊具などが揃えられたのでした。
 選手のご家族が訪れた時には、ユーモラスな彫刻が立ち並んだ歩行者天国キーロフカ通りをまず案内、その北端に流れるミアス川の美しいパノラマを望みながら歴史博物館へ入り、展示品の目玉である隕石や紀元前4世紀のスキタイの黄金の装飾等をご覧頂く観光ルートをつくり上げました。
 街全体がこぞって柔道を盛上げ、要所要所に掲げられた看板には日本の柔道選手の写真なども見られます。
 最終日には会場にプーチン大統領も現れ、そこで日本男子団体は金メダルを獲得、最終的に海老沼匡、中谷力、近藤亜美、宇高菜絵の金、七戸龍、ヌンイラ華蓮の銀、高藤直寿、田代未来、田知本愛、日本女子団体の銅といった11のメダルを手にする結果となりました。
 街の思い出の一つは、信号のない横断歩道も必ず車が一時停止をするマナーの良さです。かつての日本も一時停止は当たり前であった筈ですが、煽り運転に象徴されるように昨今人々の荒んだ心で交通マナーが薄れていることに鈍感になってきているようです。チェリャービンスクにやって来た途端、そんな初歩的なことに気付かせてくれ素直に心地好さを感じます。横断歩道の前にふと立ち止まってしまうと渡る気配を示さなくても、大型の業務車から軽乗用車に至るまでしっかりと停車して人々の動きを気長く待ってくれます。単にモラルが徹底しているというだけではなく、人と人との気遣いが隅々まで表れている一例が地方都市訪問の深い思い出として残ります。

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