シベリア鉄道
朝晩の通勤電車の老若男女十中八、九の人たちがボーッとなる束の間さえを惜しむかのようにスマホから目を離さない姿が当たり前のようになってしまった今日、人類の進歩が本当にこのようなことを求めていたのだろうか、人の幸せとは一体何なのだろう、とつい考えてしまいます。
ロシアを訪れても、道を尋ねればスマホの検索を示されることが多々あり、かつて白タクが幅を利かせていたタクシーも今やスマホ予約の利便性があまねく行き渡っていることに驚かされます。地下鉄内では日本ほどではありませんが十中六、七人がスマホに目を向けていて、IT支配の浸透ぶりを感じます。とはいえ電車内でわずかながら本を開いている人、腕を組みながらもの思いにふけり考えごとをしているような人を見かけると、ホッとしてしまう、そして、半世紀をさかのぼって蘇る初めてロシアを訪れた時の私にとっての旅の原点が思い出されるのでした。
1972年の夏休み、客船ハバロフスク号に乗って横浜を出港、2泊3日の船旅で向う先はナホトカ港。ナホトカからは船客全員が極東を走る夜行列車に乗車してハバロフスクまで行き、そこからロシア国内線でモスクワ、さらにヨーロッパへ抜ける、そんなルートが格安航空券の出回る前の時代、五木寛之の「青年は荒野をめざす」に描かれたような海外を目指す若者たちの多くが通過していった1960~70年代でした。
ハバロフスクから航空機ではなく、モスクワまで一週間かけて地を這う様にして旅行をしたいという人たちと共に、私は「シベリア鉄道」のロシア号に乗り込んだことが、旅がやみつきとなるきっかけでした。
一週間に渡って列車に乗り続けるということは、如何に退屈を乗り切ることが可能だろうか、かなり読書が出来るに違いないと、本を何冊も持ち込んだものでした。車窓を何時間も眺め続けていてもシルカ川が時折線路に寄り添ったり離れたりする以外は林と草原が果てしなく続くばかりで、それが日本では経験の出来ない、不思議な時間と空間の感覚を得るところとなり、非日常の世界に入り込み、時間を忘れてもの思いにふける、そしてさらには人と出会いと別れの人生の縮図とも言える得難い日々となったのです。
20代半ばの日本人建築家がラップランドへ向かう、しかし言葉は英語もほとんど出来ないのでスケッチブックでコミュニケーションを図るという方がいて、その方と共にバミューダから旅行を続けているご夫妻と列車の中で交流を深めたところ、70代となった一昨年その建築家はバミューダを訪問、未亡人となられたシベリア鉄道の友と45年振りに再会。
といった具合に、シベリア鉄道で出会った方々同士、ロシア人、フランス人、イギリス人、そして様々な日本人との思い出は何年経っても忘れ難く、それだけの思い出を残す鉄道の旅の素晴らしさがあると言えます。
私にとっては最も贅沢な旅、それが一気に目的地まで移動する飛行機を利用するのではなく、時間を旅する鉄道にある、その思いをいつまでも抱え、その後、2017年の早春に凍て付くバイカル湖を訪れる旅まで、シベリア鉄道乗車の機会を8回も経験するに至りました。